院長 青山 大地
1980年04月14日生まれ
業界歴:18年
資格:柔道整復師
趣味・マイブーム:旅行、神社・仏閣・城巡り、スノーボード、ゴルフ、ガンプラ収集
青山大地の生い立ち
ホームページをご覧頂きありがとうございます。
柔道整復師の青山大地と申します。
私は昭和55年4月14日にお隣の長久手市で生まれ、それからすぐに瀬戸市の八幡台に移り住み、現在も在住しているほぼ生粋の瀬戸人です。
家族は父・母・兄・弟二人の六人家族。
男四人兄弟という過酷で殺伐とした幼少期を過ごしました。
スポーツが大好きな少年で、小学生の時に野球とサッカーを、中学生の時にバスケットをやっていました。
そんなスポーツにすべてを捧げていた学生時代ですが、バスケの練習中に膝を痛めてしまい市内の接骨院や整形外科を何軒も回りましたが治らず、高校生の時は膝の痛みからスポーツを諦めてしまいます。
その後、何事にも熱中できず過ごしていた大学時代にスノーボードに出会いました。
久々に没頭できるものに出会えた喜びからどんどんのめり込んでいきました。
失望感を味わった瞬間
そして大学卒業後、スノボ漬けの日々を過ごしてみたい!という思いからスキー場で働くことになります。
しかし、楽しい日々はあっという間に終わってしまいます。なんと、シーズンが始まった直後に転倒して右手を骨折するという、まさかの大ハプニングに見舞われ下山を余儀なくされました。
さらに宿舎の大将が「もう何年もこの仕事をやっているが、こんなに早く下山する奴は初めてだ」と言い放ち、意気消沈している私は奈落の底に突き落とされました。
地元に帰って手術し、抜け殻のようになった私を待っていたのは辛いリハビリ生活…。
自分だけ怪我をしてシーズンを棒に振った悔しさと失望感の中、真剣に将来のことを考えるようになりました。
やりたいことが見つかった!
この頃、私のリハビリを担当して頂いた理学療法士の先生との出会いや病院のリハビリ風景を見るにつれ、医療業界に興味を持つようになりました。
そこからいろいろと調べていく中で、接骨院の先生になれる柔道整復師という国家資格があることを知ります。
この資格は、以前から専門職で独立したいと考えていた私の志向と見事に合致しました。
さらに自分の腕がどんどん良くなっていく喜びや、治療を通して形成される信頼関係の素晴らしさを肌で感じ、自分も治療家になりたいという思いに至りました。
時間に追われ、お金を切り詰めた修行時代
腕が完治した後一念発起し、専門学校に入るためにアルバイトや期間工でお金を貯め二年後に入学。
昼間は接骨院で働き、足りない部分は奨学金を借りながら夜間の学校に通いました。
通勤通学手段は3台の自転車と地下鉄。過密スケジュールの中、自転車を漕ぎまくる毎日。結果、幾度となく痔になりました(笑)。
今振り返ると、この時ほど時間に追われ、お金を切り詰めた時代はなかったと思います。
この経験が私の治療家としての礎を築いてくれました。
さらに修行!まだまだ修行!!
3年間の苦労の末、専門学校を無事卒業し、念願の国家資格を取得しました。
そこから名古屋市の整形外科や接骨院で数年間修行します。
少しでも多く経験を積みたいと思い、掛け持ちで日曜・祝日・年末年始もやっている接骨院や銭湯のマッサージコーナーでも働きました。
しかし、休みも取らず働き続けた過労から高熱で倒れ、口の中にヘルペスができて何も食べられなくなりドクターストップ。2週間ほど入院したこともありました。
そんな過酷な修行を続けられたのは、真の治療家に一日も早くなりたかったからだと思います。
時には、「施術の技術・専門的な知識だけではダメだ!患者さんの身になって同じ体感を得なければ真の治療家にはなれない!」という思いから、有名な接骨院や評判の良い治療院の名前を聞けば、県外であろうと自ら足を運んで施術を受けに行きました。
はちまん整骨院開業!
そして30歳になった時、自分が育った故郷に地域密着型の整骨院を作りたいと考えていた私は、地元八幡台に「はちまん整骨院」を開業するに至りました。
修行時代の経験は治療家としてのスキルアップに貢献し、施術を受けてくださる方々に喜ばれ、こんなに幸せな思いができるとは思っても見なかったです。
もちろん今でも「ここでしか受けられない施術」を追求するため、時間が許す限り今でもセミナーや勉強会に参加しています。
そして、「痛みで好きなことを諦めてしまう人を少しでも救いたい!」を理念に掲げ、今日も技術を磨き施術に励んでおります。